生物を形作る細胞や組織は多数の分子から構成されています。しかし、生物の示す現象はその構成要素からは想像ができないような複雑な機能や振る舞いを示します。このように構成要素に還元できない生命の現象「
創発現象」はどのように理解すればよいのでしょうか?要素還元的な理解が主流である現代の生物学には大きなパラダイムシフトが求められています。
現代の生物学の中核は遺伝子改変技術にあります。この遺伝子改変技術の発展によって、生物の構成要素である分子の動態を可視化し、自在に操作することが可能となりました。これにより、発生や疾患などの組織レベルの現象や、細胞増殖、細胞死、細胞運動などの細胞レベルの現象など、マクロな振る舞いを制御する分子機構が明らかになりました。しかし、構成要素である分子の理解を積み重ねても、総体としての生命現象、特にその「
生物らしさ」を理解できる訳ではありません。
多数の細胞からなる生物の形作りには、その生物らしい現象の一つとして「
自己組織化」と呼ばれる現象がみられます。この多細胞の自己組織化は、複数の細胞が相互に作用し合うことにより、機能的な組織や器官を自律的に形成する現象です。この多細胞の自己組織化は、個々の細胞の振る舞いの単純な総和とは異なるため、創発現象の一つであると考えられます。それでは、この多細胞の自己組織化を理解するためには、何を手掛かりにすればよいでしょうか?
多細胞の形作りの特徴として、(I)
細胞集団の自律的なパターン形成と、(II)
細胞集団のアクティブな形態形成が挙げられます。(I)のパターン形成は、細胞の遺伝子発現と細胞間の生化学的な相互作用により、異なる遺伝子発現を示す細胞の時空間パターンを作り出す現象であり、(II)の形態形成は、細胞の生じるアクティブな力と細胞間の力学的な相互作用により、組織の三次元的な構造を動的に変化させる現象です。この二つの特徴は、多細胞の一般的な現象に共通することから、多細胞の自己組織化を理解する上で、大きなヒントになりそうです。
まず、ボトムアップな応用問題として、(I)と(II)の相互作用による「
力学‐生化学カップリング」が考えられます。(I)のパターン形成によって生じる細胞の遺伝子発現の変化は、同時に、その細胞が生じるアクティブな力を変化させます。この力の変化は、(II)の形態形成によって生じる組織の三次元的な構造を変化させます。ところが、(I)における細胞間の生化学的な相互作用は、三次元的な組織の内部で生じるため、(I)のパターン形成がさらに変化します。このように、(I)のパターン形成と(II)の形態形成が組み合わさると、上記のような系全体の自律性によって自己組織化が進行すると考えられます。私たちは、数理モデルを用いた研究によって、パターン形成と形態形成の相互作用がそれぞれの足し算だけでは説明できない現象を生じる機構を見つけました
(Sci Rep 2017)。
さらに、組織内部の階層的な構造から、組織を構成する分子や細胞と組織全体との相互作用による「
局所と全体の協同」が考えられます。組織全体のパターン形成や形態形成は個々の分子や細胞の能動的な振る舞いによって変化しますが、このミクロからマクロへの一方向的な作用だけでは組織全体の振る舞いを適切に制御することは難しく、マクロからミクロへフィードバックが必要だと考えられます。私たちは、幹細胞オルガノイドと数理モデルを用いた研究によって、組織全体の形態変化が個々の細胞のアクティブな力発生にフィードバックされる機構を見つけました
(Sci Adv 2018, 解説記事)。
私たちはこれまでの研究で、自己組織化の基礎となる「力学-生化学カップリング」や「局所と全体の協同」の一端を明らかにしました。しかし、その本質的な理解には遠く及んでいません。その要因の一つは多細胞の自己組織化現象の複雑さにあると考えられます。
そこでこの研究室では、複雑な自己組織化の過程を解析するための新規の計算機シミュレーション手法を開発しています。また、複雑な自己組織化の過程をその本質を保ったまま単純化する新たな実験系の構築や、この過程を定量的に解析・評価するための新たな摂動・計測技術の開発も行っています。これらの独自技術を総動員し、器官発生やがん形成における多細胞ダイナミクスの基本原理の理解に取り組んでいます。