INTEREST

生物の創発現象
生物を形作る組織は多数の分子や細胞から構成されています。しかし、生物の示す現象はその構成要素からは想像ができないような複雑な機能や振る舞いを示します。このように構成要素に還元できない生命の現象「創発現象」はどのように理解すればよいのでしょうか?要素還元的な理解が主流である現代の生物学には大きなパラダイムシフトが求められています。

図:創発現象の例(鳥の集団運動&スイミー)

創発(emergence):要素の振る舞いの単純な総和では説明できない高い秩序(構造や機能)が、要素が結合した系の全体として現れること

生物の構造と生物らしさ
現代の生物学の中核は遺伝子改変技術にあります。この遺伝子改変技術の発展によって、生物の構成要素である分子の動態を可視化し、自在に操作することが可能となりました。これにより、発生や疾患などの組織レベルの現象や、増殖、アポトーシス、運動などの細胞レベルの現象など、マクロな振る舞いを制御する分子機構が明らかになりました。しかし、構成要素である分子の理解を積み重ねても、総体としての生命現象、特にその「生物らしさ」を理解できる訳ではありません。

図:多細胞システムの階層構造

階層構造(hierarchical structure):結合した要素によってサブシステムが構成され、このサブシステムを要素としてさらに大きなサブシステムが構成され、その繰り返しによって系の全体が構成される構造のこと

自己組織化による秩序の形成と崩壊
多数の細胞からなる生物の形作りには、その生物らしい現象の一つとして「自己組織化」と呼ばれる現象がみられます。この多細胞の自己組織化は、複数の細胞が相互に作用し合うことにより、機能的な組織や器官を自律的に形成する現象です。この多細胞の自己組織化は、個々の細胞の振る舞いの単純な総和とは異なるため、創発現象の一つであると考えられます。また、多細胞の自己組織化によって作られた秩序に欠陥が生じると、奇形や腫瘍形成などの様々な疾患が生じます。それでは、このような多細胞システムにおける秩序の形成と崩壊の機構を理解するためには、何を手掛かりにすればよいでしょうか?

図:自己組織化の例(眼杯オルガノイドの形成過程)

自己組織化(self-organization):系の全体を俯瞰する能力を持たない要素の集合(例えば均一な細胞塊)から、個々の要素の自律的な振る舞いの結果として、高い秩序(構造や機能)が生じること

多細胞の秩序形成と崩壊にみられる基本的な過程
多細胞の形作りの特徴として、(I) 多細胞の集合と離散、(II) 細胞集団の自律的なパターン形成、(III) 細胞集団のアクティブな構造変化が挙げられます。(I) の協調運動は、細胞集団が生化学的または力学的な相互作用を介して運動し、時空間的に秩序だって配置される現象です。また、(II)のパターン形成は、細胞の遺伝子発現と細胞間の生化学的な相互作用により、異なる遺伝子発現を示す細胞の時空間パターンを作り出す現象であり、(III)の構造変化は、細胞の生じるアクティブな力と細胞間の力学的な相互作用により、組織の三次元的な構造を動的に変化させる現象です。この3つの特徴的な過程は、多細胞の一般的な現象に共通することから、多細胞の自己組織化を理解する上で、大きなヒントになりそうです。

図:多細胞の秩序形成と崩壊にみられる3つの基本的な過程

力学‐生化学カップリング
まず、ボトムアップな応用問題として、(II)と(III)の相互作用による「力学‐生化学カップリング」が考えられます。例えば、(II)のパターン形成によって生じる細胞の遺伝子発現の変化は、同時に、その細胞が生じるアクティブな力を変化させます。この力の変化は、(III)の構造変化によって生じる組織の三次元的な構造を変化させます。ところが、(II)における細胞間の生化学的な相互作用は、三次元的な組織の内部で生じるため、(II)のパターン形成がさらに変化します。このように、(II)のパターン形成と(III)の構造変化が組み合わさると、上記のような系全体の自律性によって自己組織化が進行すると考えられます。私たちは、数理モデルを用いた研究によって、パターン形成と構造変化の相互作用がそれぞれの足し算だけでは説明できない現象を生じる機構を見つけました(Sci Rep 2017)

図:力学的過程と生化学的な過程の相互作用

要素と全体の協同
さらに、組織内部の階層的な構造から、組織を構成する分子や細胞と組織全体との相互作用による「要素と全体の協同」が考えられます。組織全体のパターン形成や構造変化は個々の分子や細胞の能動的な振る舞いによって変化しますが、このミクロからマクロへの一方向的な作用だけでは組織全体の振る舞いを適切に制御することは難しく、マクロからミクロへフィードバックが必要だと考えられます。私たちは、幹細胞オルガノイドと数理モデルを用いた研究によって、組織全体の構造変化が個々の細胞のアクティブな力発生にフィードバックされる機構を見つけました(Sci Adv 2018, 解説記事)

図:多細胞システムにおける要素と全体の協同

これから広がる新しい生命科学へ
私たちはこれまでの研究で、自己組織化の基礎となる「力学-生化学カップリング」や「要素と全体の協同」の一端を明らかにしました。しかし、その本質的な理解には遠く及んでいません。その要因の一つは多細胞の自己組織化現象の複雑さにあると考えられます。 そこで私たちの研究室では、複雑な自己組織化の過程を解析するための新規の計算機シミュレーション手法を開発しています。また、複雑な自己組織化の過程をその本質を保ったまま単純化する新たな実験系の構築や、この過程を定量的に解析・評価するための新たな摂動・計測技術の開発も行っています。これらの独自技術を総動員し、器官発生やがん形成における多細胞ダイナミクスの基本原理の理解に取り組んでいます。

RESEARCH

私たちの研究室は生物の形作りとその破綻に興味を持っています。特に、多細胞生物の形作りでは、1つ1つの細胞が相互に作用し合うことにより、機能的な組織や器官を自律的に形成します(自己組織化)。また、多細胞の作る秩序に欠陥が生じると、奇形や腫瘍形成などの疾患が生じます。私たちの目標は、このような多細胞システムにおける秩序の形成と崩壊の機構を理解することにあります。これを目指して、胚組織を試験管内で再現する幹細胞オルガノイド、多細胞の動態を予測する計算機シミュレーション、立体組織の特性や振る舞いを計測するマイクロ操作など、生物学、物理学、工学などの技術を融合した新規アプローチの開拓に取り組んでいます。

学際研究(interdisciplinary research):単独の学問分野では解決が困難な研究領域に対して、二つ以上の学問分野を統合して学問横断的に進めて行く研究のこと

I. 生物学実験:多能性幹細胞やがん細胞のオルガノイド培養による生命現象の原理解明

試験管の中で幹細胞を培養し、器官様の立体組織(オルガノイド)を作ることで、胚発生やがん疾患における多細胞の振る舞いの理解に取り組んでいます。遺伝子改編技術や蛍光イメージング技術などを駆使し、自己組織化における多細胞ダイナミクスの分子生物学的・細胞生物学的・生体力学的な理解を目指しています。


図:オルガノイド培養による多細胞3D動態のイメージング

オルガノイド(organoid):試験管の中で作られる器官様の構造や機能を有する立体組織のこと。ES細胞やiPS細胞などの多能性幹細胞から作られるオルガノイドと、組織幹細胞から作られるオルガノイドに大別される。
I.I 眼杯オルガノイドによる自己組織的な形態形成の機構解明

多細胞に内在する自己組織化の能力を利用して、多能性幹細胞から器官様の立体組織を誘導するオルガノイド技術が確立されました(Eiraku, et al Cell Stem Cell 2008)。特に、オルガノイド技術の先駆けである眼杯オルガノイドでは、胚性幹細胞から複数種の細胞が分化し、眼杯組織の立体的な秩序構造が自律的に形成される(Eiraku, et al, Nature 2011,私たちも参画)。このような多細胞の自己組織化能力を強く反映する眼杯オルガノイドの特性に着目し、器官形成における自己組織化の原理的な理解を目指しています。

I.II 腸オルガノイドによるがん細胞の腫瘍形成・浸潤進展の機構解明

がん疾患に関わる研究のほとんどは遺伝子や分子に着目した研究がほとんどです。しかし、既存の分子生物学的な理解だけでは、がん細胞の腫瘍形成や浸潤伸展の仕組みを理解することは困難です。そこで私たちは、金沢大学がん進展制御研究所との共同で、腸オルガノイドを用いた腫瘍形成・浸潤進展の機構解明に取り組んでいます。特に私たちは、既存の遺伝子改編技術や蛍光イメージング技術に加えて、機械工学的な技術を導入することにより、がん疾患に鍵となる細胞の変形や運動に関する新しい理解に挑んでいます。

II. 定量計測:精密操作による多細胞動態の定量的な計測技術の開発と応用

機械工学的な精密操作(ピエゾマニピュレータや原子間力顕微鏡(AFM)など)によって、作成した立体組織の局所に対して力学的・生化学的な摂動を加える技術を開発しています。この摂動技術と3D組織の培養技術を組み合わせた実験により、自己組織化の鍵となる分子-細胞-組織間のスケールを相互作用の理解と組織工学への応用を目指しています。


図:マイクロ操作技術による細胞3D動態の計測

II.I 3D組織の精密機械操作による形態形成の機構解明と組織工学への応用

器官の形ができたり細胞が運動したりする仕組みを理解するためには、その物理的・生化学的な特性を理解する必要があります。私たちは、ピエゾマニピュレータを使って培養中の細胞や3D組織を自由自在に制御する技術を開発しています。この開発した技術によって、3D組織の機械特性やアクティブな応答など、新しい現象の発見を目指しています。


ピエゾ素子(piezoelectric element):加えられた力を電圧に変換する、あるいは電圧を力に変換する素子のこと
II.II 3D組織内部のAFM計測技術の開発と胚発生・がん疾患研究への応用

現在の生物学では、組織内の遺伝子発現を網羅的に解析することが可能になり、膨大なデータが蓄積されています。しかし、組織内の物理的な特性や微細な構造についてはほとんど分かっていません。そこで我々は、器官発生やがん疾患をより包括的に理解するため、AFMによって組織内の物理的な特性や微細な構造を計測する新規技術の開発と応用に取り組んでいます。


原子間力顕微鏡(atomic force microscopy; AFM):試料の表面と探針の間に働く力を検出して画像を得る顕微鏡のこと
III. シミュレーション:分子・細胞・組織スケールからの3D多細胞動態の予測と理解

器官形成やがん形成などの多細胞の三次元動態を分子・細胞・組織のスケールから統合的に解析するため、新しい計算機シミュレーション手法を開発しています。これらの手法を器官形成やがん形成などの現象に適用することにより、多数の分子・細胞から成る組織・器官の動態を網羅的・定量的に予測することを目指しています。


図:多細胞3D動態の計算機シミュレーション

III.I 器官レベルの多細胞動態を1細胞レベルから予測する「3Dバーテックスモデル」

多細胞の3D動態をシングルセル解像度で記述する3Dバーテックスモデルの開発と応用を行っています。本モデルは発泡体の動態を記述する粗視化モデルの一つで,その原型は1956年頃に提案されました。1990年頃に泡動態の解析に用いられ、2004年頃には本多久夫先生らにより生命現象へ応用されました。私たちは、この数理モデルを大きく発展させ、各細胞の変形、運動、成長、分裂、細胞死、シグナル伝達を記述し、巨大な組織や器官の動態を1細胞レベルで解析することが可能になりました。


バーテックスモデル(vertex model):細胞が密に詰まった組織の内部構造を仮定し、細胞間の境界面を基本要素として細胞集団の動態を解析する数理モデルのこと
III.II 多細胞の長時間動態を分子集団スケールから予測する「非保存流体膜モデル」

胚発生やがん疾患などは数時間~数日の長時間スケールで生じる現象ですが、それらはマイクロスケールの微細な細胞動態に起因します。そこで、このような長時間・微細空間の多細胞3D動態を記述する非保存流体膜モデルの開発と応用を行っています。既存の数理モデルは細胞膜を弾性体として記述するため、極めて短時間の細胞動態にしか適用することができませんでした。開発した私たちの手法は、細胞膜を非保存系の流動膜として表現することで、胚発生やがん疾患における長時間の多細胞動態を予測することが可能になりました。


IV. 理論解析:力学に基づく多細胞ダイナミクスの理論解析

力学シミュレーションや立体組織培養実験で得られた複雑なデータや知見に基づいて、多様な多細胞動態の素過程を抽出し、その定式化を行っています。これにより、胚発生やがん疾患などの幅広い多細胞ダイナミクスに共通した原理の発見を目指しています。